Unité d'Habitation
カッコいい建造物を紹介するシリーズ第3弾。

全ての建築に興味がある人は、常識中の常識として知られている
「Unité d'Habitation」だ。
Le Corbusier(ル・コルヴュジエ)が、ある思想の元に作り出した歴史に名を残す集合住宅である。

「Unité d'Habitation」の正しい発音方法は、ユニテ・ダビタシオンだ。
第二外国語としてフランス語を習得した私にとっては、この発音など造作も無い。
ここで若干のフランス語講座。

フランス語は、基本的にローマ字読みで問題ない。
Uniteは、英語だとユナイトだが、
フランス読みではローマ字読みそのままに、ユニテ、だ。
超シンプル!

次に”h”は発音しない。
d'Habitationは、ダビタシオン、とそのままだ。
関係ないが、Honorはオナーと呼ぶに違いない。






この無機質なコンクリートの質感、とてもたまらない。
屋上のコンクリートだけの庭園も、この突き放し方が素晴らしく魅力的だ。
とても冷ややかで、温かみなどひとかけらも見当たらない。
そして環境問題?そんなの知ったことか!
と言わんばかりに、コンクリートのみである。


そしてピロティ(建物の一番下の、基礎のような柱部)。
これもまた堪らない。
飾りっ毛の無い、まるで砂漠を思わせるかのように殺風景。
それでいて、ギリシアのパルテノン神殿のように厳かな雰囲気。
そこに行って、圧倒されたい!
そう思ってしまうほどだ。



ル・コルビュジエにより近代建築の五原則が提唱されている。
1. ピロティ
2. 屋上庭園
3. 自由な平面
4. 独立骨組みによる水平連続窓
5. 自由な立面

私の住むマンションは、実はこのうちの二つを満たし、見かけはまるでユニテ・ダビタシオンだ。(1番と4番が合致)
おんぼろで、築30年は過ぎているが、まあそれなりに快適だ。
ただ、見てくれはかなり酷い。
なんつったって、雨水の垂れた痕跡が染みになって、建物全体を覆い、まるで崩れる寸前の汚い様相を呈しているのだから…

いい建物、いい住宅。
それはなかなか見つからないものでもある。

Casa Mila
何となくカッコいい建造物を紹介するシリーズ第二弾。
今回は、カサ・ミラだ。



かの有名なガウディ作の建築物だ。
パッと見では、個人的な趣味で作ったんだな…、とさえ思わせられるような風貌である。
あまりにもの前衛さに、ちょっと引いてしまうほどだ。

金と才能があれば、こんなものが出来るのだろう。
いまいち、この建物の素晴らしさというのが良くわからない。
なぜだろう??


芸術とは
気が付いたら、Le Corbusierの動画をyoutubeから毎日探しているような状態だ。
動画に映る彼の作品。
そこには何かを感じさせられる。



何かとは、それは「自由」だ。
構造物における常識的な構造部材。
日常よく見かけるビルディングとはかけ離れたデザイン。
それは正しく「自由」以外の何者でもない。
そしてそれは見るものを魅了し、捕らえて離さない。

そう、それは私ではとても考え付かないような常軌を逸脱した設計であり、とてもではないが常人とは思えない。
Le Corbusierって人は頭の中がおかしいのではないか??
などと思ってしまうほどだ。

しかし、こうして私は彼の作品を、日夜、捜し求めて、そして眺め続けている。
飽きることなく、ただ、その「自由さ」に惹かれながら…





こんな建物を自分で設計したいと思ってしまうのだが、私にははっきりとわかる。
それはとてつもない努力の上に築かれた、知識の結晶であり、またその感性を研ぎ澄まし続けた上に聳え立つ芸術性の塊であることを。
そして、私にはとても追いつけないほどの遥かな高みに、それはそびえ立つことを…



habita67
なんとなく、かっこいい集合住宅を紹介するシリーズ。


モントリオールにあるという、habita67だ。



めちゃめちゃクールな外観。
って、解説になってないな…

古来、政(まつりごと)とは祭り事、すなわち祭祀を顕す。
つまり、神へのお願いをすることである。
では、お願い事とは一体何か?
それは、災害が起きませんように、平和でありますようにと、祈りを捧げることに他ならない。

すなわち、人の上に立つ君主たるものの成すべきこととして、その民の安寧を計らなければ、いずれ人心が離れてしまうと言う事が、歴史的な事実として存在する。
人の上に立つとは、古来より人のために働くべき存在であると定められている。
人を見下し、搾取し、虫けらのように扱った君主や政権は、やがて人により倒される。
これを天命と呼ぶ。

まあ簡単に言えば、政治とは災害が起きないよう社会資本を整備する事が大きな仕事の一つである。
河川が氾濫して、周辺住民の財産あるいは生命が失われないように堤防を築き、遊水地を作ったり、はたまた街を区画整備して商業が発展しやすいようにしたり。
それはそれは、とても地道でだれからも褒められることは無く、あまつさえ無駄金使いなどと批判を浴びがちだが、その根底にあるものを見失えば、やがて大きな災害に対して恐ろしい結果を招く。

古代から近代にかけては、この事をきちんと行えば、その国は大いに発展する図式となっていた。
現代になってからもそれは基本原則としては大きく変わらない。



そんな社会資本の一つである、ダムを今回は紹介しよう。
最近は脱ダムなど、悪の建造物としての評価しか受けない建造物であるが、その姿はあまりにも見るものを圧倒させる。



ダムには、様々な機能が備わっている。
その中でも人の暮らしに最も関わっている機能として、以下のものがあげられる。
それは河川の水量を調節し、飲料水、農業用水、工業用水などが定量的に確保できるようにすること。
この定量的に確保することというのが、かなりミソなのである。

要は、飲み水はいつもこれだけ確保したい。確保できなかったら、水道は止まる。
農業用水は、稲作時にはこれだけ確保したい。確保できなかったら、米が作れない。
工業用水もいつもこれだけは確保したい。確保できなかったら当社に多大な損害が云々かんぬん…
などなど、水は利権の固まりだ。

これがダムが無かったら…
おそろしい水を巡った争いがおきるであろうことは、容易に想像できる。
実際、水利権というのは今でもドロドロとした攻防が、そこかしこで起きているのだ!

それを微妙に調整するのがダムや、堰などの社会資本構造物だ!
そう、すべては物事を円滑にするため、そして災害を防止するため、それらは存在する。


まあ、世の中は腐れているが、根本的には利害の調整という妥協の世界であるということだ。
綺麗な世界など、世迷言に過ぎない。



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